
『スーパーアーティストトリビュート SING LIKE TALKING&佐藤竹善スペシャル』
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管理人の大好きな
1999.12.05 TBSラジオ こんばんわTBSアナウンサー鈴木潤です。 今夜はシングライクトーキングのお話を中心に佐藤竹善さんをご紹介していきたいと思います。 まず、お生まれですが、1963年昭和38年5月5日、青森県青森市生まれの松竹梅の竹と善と書くお名前ご本名ではたけよしと読みます。 佐藤竹善さんのヒストリーを語る上で、シングライクトーキングの他メンバー藤田千章さんと西村智彦さん、 お2人とのかかわりは欠かすことができません。このお3方は、なんと幼稚園や小学校の頃からの付き合いだというのですから、 もう30年くらいの歴史があるんですねぇ。 そしてシングライクトーキングのルーツを辿っていきますと、今から18年程前、高校3年の冬のある日が浮かび上がってまいります。 竹善さんが以前からの音楽仲間で高校が一緒だった藤田千章さんに、学校で声をかけました。今日おまえんち遊び行っていい? それまで学校で遊んだり外では良く会ったりしていたお2人なのですが、家を行き来するってことはほとんどなかったそうなので、 その時藤田さんとしては、何しに?って感じだったそうです。しかしまあ断る理由もないので、 家で待っているとやってきた竹善さんいきなり、こう切り出しました。プロになろう。 僕が曲を書いて、千章が詩を書いて、コンビでやろう。な、やろうよ、やろう。なにやら相当高ぶっている様子。 実は竹善さん、お母さんからクリスマスプレゼントとして買ってもらったビリー・ジョエルのアルバム、 songs in the atickに強烈なショックを受けまして、もう、その時点でプロになる事を決めちゃったんだそうであります。 いきなりなんで戸惑った藤田さんですが、前からの音楽仲間で東京に出た連中の中に、実際プロとして活動を始めている顔ぶれもおりました。 つまり、熱く語る竹善さんの計画は突拍子もない夢物語だったわけでもなかったんですねぇ。 そんなこんながありまして、プロとしてやるならやっぱり東京だろう、と、佐藤竹善さんと藤田千章さん。 高校を卒業すると上京。そこから波乱万丈の物語が始まるわけですが、ここから先はパート2へと続く。 間奏 〜Try and try again〜 間奏 〜みつめる愛で〜 間奏 〜離れずに温めて〜 先ほどは佐藤竹善さんと藤田千章さんが、高校3年の冬のある日にプロのミュージシャンを志した、 という所までご紹介しましたが、高校を卒業すると上京。とりあえず大学に入って音楽活動の足場を固めました。 しかし、右も左もわからない東京です。当初は何をやっていいかわからず、アルバイトに明け暮れる日々。 特に竹善さんは学費を一切親からもらっていなかったので、ウィークデーは音楽なんてやっている場合ではありません。 毎週日曜日になってようやく藤田さんが竹善さんのアパートに行って、お2人、音楽の事を肴に酒を飲む、それくらいが精一杯でした。 そしてたまに外で飲む時はカラオケのあるお店。歌が好きってこともありましたが、なにしろ竹善さん、あの歌唱力です。 時には他のお客さんからご祝儀をもらったり、プロのミュージシャンを目指していると言うと、 お店のママさんが、がんばりなさいよ、と言ってお勘定を安くしてくれたりしたこともあったとか。 そして大学2年の時、お2人は偶然東京に出てきていた西村智彦さんら青森の音楽仲間と出会い、 5人でバンド活動を始めます。当時はTOTOのようなサウンドをやろうとしていた皆さんなんですが、 実際音を合わせてみると、なにかしっくりこない。そんなこんなで、このバンドはすぐに空中分解してしまい、 残ったのがその後シングライクトーキングを形作ることになった3人だった、と言うわけです。 その3人でデモテープを作ったり、他のメンバーを集めてライブハウスに出たりと徐々に活動の枠を広げていった シングライクトーキングですが、しかし世の中そう甘くはありません。プロとしての道は、その入り口さえ見せてくれませんでした。 そうこうしているうちに、竹善さんと藤田さんは大学を卒業。とりあえず就職した藤田さんですが、 仕事と音楽の両立でほとんど寝る間なし。半年でなんと10キロも痩せてしまったという話。 そんなことを続けていたら体がもちません。もう限界かぁ、と言う所で神様もちゃぁんと見ていたんでしょう。 救いの手が(テープ損傷…)んー、こっから盛り上がるぞ、と言う所でこの先は、パート3へと続く。 間奏 〜Hold on〜 間奏 〜Fire clacker〜 さあ、いよいよ今度はシングライクトーキングデビューにいたるお話です。 そのきっかけとなりましたのが、佐藤竹善さんが大学卒業半年後の1986年、12月に開催されましたサウンドコンテスト。 このコンテストでシングライクトーキングは見事グランプリに輝きました。 しかし、グランプリをとったってすぐプロになれるってもんじゃありません。そこに幾つかの偶然の力が重なったのです。 まず、後にシングライクトーキングが契約する事になるレコード会社のディレクターが新人発掘のため来ていたのですが、 何組見ても見込みのあるバンドは出てきません。こりゃあだめだぁ、と、 席を立とうとした時、審査委員長の方が声をかけたのだそうです。もう1曲だけ、あと1曲だけ聴いてってよ。 実にそのもう1曲がシングライクトーキングだったんですねぇ。 そしてもう1つの幸運、そのサウンドコンテストの模様が深夜、テレビで放送されたのですが、 その番組をたまたまあるCMディレクターが見ておりました。そのディレクター、 普段はそんな時間めったにテレビなんか見ない方なんだそうです。そしてシングライクトーキング登場の部分もわずか20秒。 この奇跡のような出会いが、あのコカコーラのCMソングI feel Coke を生む事になったそうなのであります。 そんな具合に順調にプロとしての道を歩み始めたシングライクトーキングですが、レコード会社と契約してすぐにデビューしたか、 というとそうじゃありません。レコード会社としても金の卵としてじっくり育てたかったのでしょう。実に1年半もの間腕を磨くことと、 様々なレクチャーを受ける事に費やしたそうです。どんなレクチャーかと言いますと、他のミュージシャンとの距離のとり方、 エンジニアとどんな具合に音作りを進めるか。レコード業界とマスコミの関わり方などなど。 ぃやー、ミュージシャンの方もこんな勉強をするんですねぇ。そしてまんをじして、1988年9月30日、 シングルdancin' with your liesで待望のデビューを果たしたわけです。 さぁ、そこから先は佐藤竹善さん本人が登場されますので、ご本人からお伺いする事にしたいと思います。 |
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